代々木丈太郎の何だか良く判らないブログ

主にゲームブックについて語ります。他、北海道ネタ、ホリエモン、雑談など

自動車のシェアやレンタル、自動運転世代の方々へ。自動車を所有し運転するのが昔はステータスだったと言う話。

こんにちは。

さあ、選択肢を創りましょう。

ゲームブック投稿サイトのリニューアル(サボり中)を考えている者です。

先程目覚め、微睡みながらTwitterのタイムラインを閲覧していたらこんな記事が。

なんともやり切れない痛ましい事件ですね。

工場が全焼って。

今は否認しているようですが、家族と口論になって自暴自棄で放火するほど免許返納って年頃(80歳くらい)の方にとっては受け入れ難いという事が伺えますね。

(いや、流石にやりすぎですが)

なかなかこの辺の心理は車離れをしている若い方には理解に苦しみますね。

本日はその辺のところをお話したいと思います。

 

目次

高度経済成長時代

やはりですね。

バブル期よりも前の、高度経済成長時代がモノを言っていると思うんですよね。

戦後焼け野原の日本がアメリカについで世界経済二位にまで登りつめた。

その経済成長を牽引していたのは間違いなく自動車産業でしょう。

ストリートファイター2のボーナスシーンでは日本の高級車セルシオを破壊するという実は過激な演出が施されています。

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これの元ネタは日米貿易摩擦です。

実際にアメリカ人が日本車を叩いて壊すパフォーマンスが結構行われていたんです。

日本車が輸出されすぎて、アメ車が売れなくて、自動車メーカーの多いデトロイト市で失業者が日本車を輸入するなという政治的主張だったんですよ。

なので当時それをゲームに取り込むなんて、クレイジーだなと思いましたね。

でも筆者も普通に(ゲームの中で)車壊してましたね。

セルシオをね。

スマホやパソコンも普及してない

ご承知のように、いまでこそ街中歩きスマホする人で溢れていますが、バブル期はおろか高度経済成長時代にはスマホなんてありません。

パソコンもマイコンとか呼ばれ、持っている人もごく少数派でした。

YouTuberや初音ミクもいないし、プロゲーマーもいません。

娯楽がとても少なかったんですよ。

だから車は生活の中でも大きな比重を占めていました。

生活必需品であると同時にエンターテイメントとしても重要だったんです。

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例えば女性をデートに誘うとか。

今はレンタル彼女とかでドライブデートは禁止ですが、当時は車がないとやってらんなかったんですよ。

スマホがないんだから楽しみは行楽地に行くしかない。

そこに電車やバスで行くっていうのもかなり貧乏ったらしく見られる風潮で。

で、レンタカーは当時「わ」から始まるナンバーだったんで、すぐバレるし。

カーライフ、愛車、納車など、車にまつわる用語も続出。

スマホライフ、愛スマホ、納スマホ……というような用法はないわけで。

スマホに特化された用語というのはあまり見かけませんよね。

これだけでも車の扱われ方が現在のスマホ以上であったことも伺えるのではないかと思います。

高級車という価値

車の価値というのがバブルの如く膨れ上がっていたということです。

それは幻想なんですけども、その幻想から目覚めていない方も多いんですね。

筆者は高級車って運転したことないのですが、かなり前、誰もが認める高級車に同乗したことがあります。

そのときにわかったのですが、そして人によると思うのですが、高級車を運転する方の中には自己中な方がいるんですよ。

俺はベン〇に乗っているんだ

だから金持ってる

社会的地位が高い ≒ お前は低い

傷つけたら承知しねえぞ

だから避けろ、道を譲れ

 ……いや、あくまで人によりけりですが。

例えばものすごく狭い道を走る場合、対向車が来たら路肩に避けるとか、譲ってもらったら会釈や笑顔で挨拶をするとか。

そんなのはドライバー間での暗黙の了解なんですよ。

自然と運転していたら身につく慣行なんです。

それが前述した思考回路の方はできない、というかやらないんです。

まあ、そんな運転をしていたら事故りますね、普通に。

軽い接触事故でしたが、警察沙汰になり、おかげで筆者も缶詰ですよ。

まあ、そういう勘違いも助長して、車を運転できる権利である免許はとてつもなく高いステータスであると、高度経済成長を経験してきた方は認識していることは想像に固くありません。

筆者はホリエモンと同じくらいの世代ですし、常にアップデートしたいと思っているので所有していた車を二束三文でも売りましたが。

時期に自動運転が実用化されるでしょうから免許返納も抵抗ないですね。

免許は身分証明書としての機能が高いので、それに変わる物があれば問題なしです。

まとめ

以上に述べたように、車を所有することや運転できる権利というのが一番のステータスであると考えているのが団塊の世代の方たちです。

年齢も返納したほうがいい時期に差し掛かっているのですが、ステータスを失うということはとてつもなく自分を否定されたと受け取ることでしょう。

ただでさえ仕事をリタイヤし、自分の存続価値を憂いているのかもしれません。

いわば最後の砦みたいなもんですね。

だから自己肯定感を促すことが大切です。

孫の世話とか家庭菜園とか週数回程度の仕事とか。

車に変わる夢中になれる何かを見いだせたらいいですね。

そして世の中に役に立っているということをよ~く実感させてからじゃないと、そのステータスを手放させるのは容易では無いのです。

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最後までお付き合いありがとうございます。

ちなみにこんな著作もあるのでよろしければポチしてください! 

車を運転すると言うこと

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以上、東京からでした。

 

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